源流ボーイズブログ

ベイブ観たあとに豚肉を食べる勇気

生き物を殺すということ

来月、罠猟免許を取得する予定です。
 
今までは川の支流を登りながら釣りをする源流釣りというものにハマっていました。
なので山に行く機会が多く、
それで狩猟もやってみたいなと思うようになりました。
 
 
狩猟免許を取ったなら、まず鹿を捕まえたいです。
 
でも捕まえて終わりではないです。
 
食べます。
 
食べるために捕まえます。
 
そして、食べるためには殺さなきゃなりません。
 
すぐに血抜きをして、内蔵を抜かないと肉が臭くなってしまいます。
 
美味しく食べるためには、
やるしかないのです。
 
 
魚でもそうです。
 
食べるために〆たらすぐに、ハラワタを抜いて血合いを取っておかないと、臭くなってしまいます。
 
渓流魚を〆るときは、まず頭をデコピンして気絶させてからハラワタをナイフで取ります。
 
もう何回も何十回もやりました。
 
作業的には慣れました。
 
 
でも、やはり、
食べるためとはいえ、
命を奪うということには慣れません。
 
〆る時は、心の中で感謝しつつも、
「ごめん!」とか「すまん!」とも思ってしまいます。
 
美味しく食べてやることが大事だとは言いますが、
そんな人間側の勝手な綺麗事だけでは、どうにも割り切れないというか、
胸が痛いと思うのは確かです。
 
ある日、自分が宇宙人に捕まったとして、
「美味しく食べてやるから!」
と言われても納得できませんもん。
 
 
自分で獲った生き物を、
自分で殺して食べるというのは、
スーパーなどで買った食べ物とは、
食べ物としての重みがまったく違います。
 
パック詰めされた肉を食べるとき、
そこに命の重みを感じたことはないと思います。
僕も正直、気にしたことはないです。
肉の柔らかさだとか、
脂の乗り具合だとかを気にしてるだけで、なんの感謝もなく食べてしまっています。
 
それは、生き物がパック詰めされるまでの過程を知らなくて、
想像もできないからだと思います。
 
想像はできてないけれど、
それでも確実に過程は存在します。
 
誰かが殺しているからです。
 
野菜や果物とは違います。
 
食べるために、
食肉にするために、
誰かが殺してくれているから食べられるのです。
 
 
今日、僕らが当たり前のように食べた「肉」は、
生きていた動物の肉です。
 
動物の命を奪わなきゃ食べられなかった肉です。
 
本来は知っておかなきゃいけないことなのに、
その一番大事な「奪った命」という部分を、
ほとんどの人は食べるときに意識していないと思います。
 
そんなことも知らずに、
今日もたくさんの人は肉を食べます。
 
焼き肉を、
しゃぶしゃぶを、
ステーキを、
ハンバーグを、
とんかつを、
唐揚げを、
 
肉を使った料理はたくさんあります。
 
そのどれもが、
とっても美味しいです。
 
 
そんな美味しい肉を、
自分の力で手にしたいと思いました。
 
自分の手で、
生き物をしっかりと殺して、
そして食べたいです。
 
残酷だとは思います。
 
ヒドいことをするという自覚もあります。
 
それでも、食べたいです。
 
知らない誰かが殺した動物の肉よりも、
自分自身で、捕まえて、殺して、捌いて、肉にしたものを食べてみたいと思いました。
 
 
 
でも、もしかしたら、
農家の人が、牛や豚を殺してくれているから、スーパーで肉が買えるけれど、
 
そもそもスーパーで肉を買うという行為自体が、すでに
間接的に牛や豚を、消費者である僕たちが殺していたんだとも言えるかもしれません。
 
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